2023.2.6
【詩エッセイ】

#01 いつも見ている、あの橋を渡る


全部ひとつずつしかない横浜のちいさな町に、わたしが働く会社がある。
生まれも育ちも横浜だけれど、近いのにちゃんと来たことがない町だった。
町の規模は小さいけれど、駅前はよく映画やドラマの撮影に使われるほど、なんというか絵になる。駅は大きな道路が隣接していて、駅から道路を超えるように橋がかかっている。
ここへ通うようになってかなり経つのに、この橋を渡ったことがなかった。


「たったそれだけのこと」


その橋を
渡ったことがなかった

仕事で通っている駅は
コンビニがひとつ
スーパーがひとつ
ドラッグストアがひとつ
パン屋さんもひとつで
ケーキ屋さんもひとつ
全部ひとつずつしかない
ちいさな町

駅の反対側に
行ったことがなくて
昼休み
橋を渡ってみることにした

夏の終わり
百日紅が
いっぱい咲いていて
道を挟んで向かいある
駅前の景色が
いつもと違うみたいに
見える

ときどき
橋とか道を
渡った方がいいな

たったそれだけで
何かに
気がつくことが
あるかもしれないから


 (未発表)

最近本を読んで、コンフォートゾーンという言葉を知ったのだけれど、快適な居場所とか、安全地帯という意味らしい。不安にならない行動範囲、つまり自分が落ち着いて安心に過ごせる場所のこと。
「サラグレースについて」というページに書いてある、こちらの言葉。

自分や家族がほっとできる家
美しく、その空間にいるだけで、
幸せになる家
ずっとここにいたいと思える家

これは、コンフォートゾーンの中心なのではないかと思う。

わたしは家が、本当に好きだ。ずっと居ても、苦にならない。
外へ出たら出たで、同じカフェに行き、同じ食べ物や飲み物を頼むので、冒険心はない方だと思う。
前にラジオで、脳科学者の先生が脳を活性化するには、「知らない街で迷子になるのがおすすめ」と話していたのだけれど、難易度が高いし、そもそもあんまりやりたくないなと思ってしまう。
けれど、どうやら人はそのコンフォートゾーンの少し外へ出る方が、ワクワクしたりして人生が楽しくなったり、成長できたりするらしい。
もちろんそれには勇気も必要で、いつも同じような行動をしているわたしにとってはちょっとハードルが高い。

でも、日常の中でちょっとだけ、いつもと違うことをしたり、いつも行かないところへ行ったりすると、気がつくことがあったりひらめきがあることも、よく分かる。
ここで大事なのは、ちょっとだけ、というところ。

このエッセイを書くのは、わたしにとって「ちょっとだけ外へ出る」ことのひとつのような気がしている。


「それは数えられないほどたくさん」


どのくらい
このマグカップで飲んだだろう
目を覚ますためのコーヒー
一息つくための大好きなお茶を

どのくらい
このソファに座っただろう
眠くて力が入らない体を
ゆったりする時間を
支えてもらっただろう

どのくらい
このドアを開けただろう
ワクワクして出かける時も
憂鬱で行きたくない時も

どのくらい
ここで
いってらっしゃいと
おかえりを
言ってもらっただろう

その言葉は時にお守りで
灯台の明かりのようだった



 「秋美vol.33」「あわやまりHP」より 


「いってきます」と言って、居心地のいい家からちょっとだけ外へ出て、何か感じて、また帰ってくる。たくさん受け取ってきた、お守りのような言葉たちと一緒に。
時には、心の中でずっと座っているソファから、ちょっと離れて見えてきたものも、書いていきたい。

詩を書き始めて今年でちょうど20年。
その節目の年に、このような新しいことにチャレンジできる幸運をいただけて、感謝の想いは尽きない。
読んでくださるみなさまに、「ちょっとだけ」愉快な気持ちやあたたかな気持ちになってもらえるように、わたしもちょっとずつ歩き出して行こうと思う。



Profile



あわや まり
Mari Awaya
サラグレースのクリエイティブメンバー・詩人。
詩集に「記憶クッキー」(七月堂)、「線香花火のさきっぽ」(志木電子書籍)、「ぼくはぼっちです」(たんぽぽ出版)などがあり、アンソロジーの出版本にも多数詩が載るほか、中学1年生の道徳の教科書にも詩が載っている。